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デジタル化が簡単ではないと感じた理由

2020.4.29.WED


- 多すぎるデジタルツール -


令和2年4月7日、新型コロナウイルス感染症の急速な拡大を踏まえて、日本政府は新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言を発令した。今まで耳にしたことの無いこの宣言により、東京の朝の出勤風景は数ヶ月前には想像もしようもない程、大きく様変わりを見せた。

人がいない・・。

「人との接触を7割から8割減らす」との方針により、多くの企業が各自自宅で仕事をするということを取り入れたのであろう。極めてとっぴなことではあったが、「リモートワーク」、「業務のデジタル化」といった、以前から燻り続けていたキーワードを前に進めるには良い機会なのかもしれない。

だが、これらのキーワードのもとに仕事を進めていくのは、正直言ってかなり辛い(個人的には)。「満員電車」、「大量の紙」、「FAX・電話」といった、従来からの日本の働き方の非効率性を指摘し、改善するとの目的で「仕事のデジタル化」が叫ばれていたのだから、実現すれば「楽になる」のが本来の姿なのではないかと思う。

しかし、そうはならない。正直、その予感すらしない。

なぜか・・。結論を先に申し上げれば、仕事をデジタル化していくのに必要なツールが1本化しておらず、ジャングルのごとく乱立しているからである(デジタルジャングルとでも名付けたいくらいに)。例えば、メッセージ系のツール。仕事のデジタル化をするには電話とFAXに代わる連絡手段が必要だと思うが、ありすぎてほとほと困る。キャリアのメール、フリーのメール、プロバイダーのメール、レンタルサーバーのメール、メールソフトのメール、ショートメール・・、さらにはチャット関連(LINE・Chatwork・Slackなど)まで存在する(探せばまだ出るだろう)。メッセージ系のツールに求めるものはほぼ決まっているので、1つ2つあれば十分であると思っている。しかしこの乱立ぶりである。「あれは?」「これは?」と探してはツールを立ち上げ、閉じてまた探す、自ずと手と頭はフル回転になる。

あとよく使われるのが、カレンダーのような情報共有系のツールだが、これも同様の状況だ。スプレッドシート、Googleカレンダー、PC純正のカレンダー、その他カレンダーアプリなど。

このようにして、デジタル化ツールは取り入れれば取り入れるほど倍々ゲームのように増殖していく。人間もパソコンも色々と「容量」が食われることで、本来余白であったはずの領域を失い、核となる心臓部へと圧迫を強めているような気がしてならない。そして、人間の心理的負担は数値化しづらい。可視化・データ化が十八番のデジタル化が推進されるのに、見えないデメリットが蓄積されるとは、何ともいえない皮肉のような思いがした。

多すぎるデジタルツール

多すぎるデジタルツール

- 今のままだと「複数」になる -


実はこういった「増殖」たる状況は、今までの日本で何度も経験したことだと感じている。挙げだすと枚挙に遑がないので、代表的なものを少しみてみる。

・道路の交通標記の多言語化

街中で一番よく見かける物の1つかもしれない。日本語と英語が多いが、中には中国語や韓国語もある。

・鉄道の案内表示とアナウンスの多言語化

これも首都圏では顕著である。鉄道会社によるが、日本語・英語・中国語・韓国語あたりだろう。

・ポイントカードの発行

これも古くから浸透していて、どのお店でも発行されるので財布の中がポイントカードでパンパンなるのは珍しくない。

・現金と電子マネーとクレジットカードの併用

ここ最近は電子マネーの乱立が激しい。上記に銀行振込も加えれば、多様な選択肢とも言えるが、全ては「お金を支払う」という1つの行為に集約される。

・印鑑と電子サインの併用

在宅ワークの実施で一気に火がついた話題である。


以上のように、私たちの日常は、多くのことが既に「複数」の中で成り立っているのである。商品やサービスを提供する側は「複数」を前提にして作らなければいけないし、また、それらを受け取る側も「複数」であることに対応しなければならない。1つ1つは大した事ではないから、気にならないかもしれない。しかし、こうやって少しずつ「複数」が積もっていくと、自分の気持ちが「複数」であることに多くを割かれ、1番大切な本質の部分を見落としてしまうのではないだろうか。

そう、日本で見慣れたこの風景に、既に心は疲弊しているのである。

昔から存在するものは「慣れているから」というような、消極的理由だけで存在するとは限らず、それなりに意義を持ったものも多いということだろう。新しいことを始める時は、私たちはその事実を受け止めなければならない。そして、「便利だから」、「理に適っているから」などの理屈めいた事情だけでは、人間の心はなかなか動かない。即ち、合理性や効率性だけに注目していては、従来のものから100%取って変わることは不可能であり、よく見かける「複数」をただ単に生み出していくにすぎない。

また、日本は自然災害の多い国である。豪雨・豪雪・火山・津波・台風・地震に熱中症まで、多岐に渡る自然の脅威が全国各地に存在する。諸外国でどれだけ普及しようとも、日本の自然のあり方に反するような方法は、此の国では必ず廃れていくと、肝に命じておくべきだろう。なお、自然災害については、「(Column)自然と縦書きに日本の意識を観る」で少し触れさせていただいた。デジタル化の普及方法については、私が積極的に導入している「minimalist × work | 全てがシンプルであれ」が、もしかすると参考になるかもしれません。

全てがシンプルであれ

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text&illustration : takahasi kei


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